「縦に速く攻める」
それはサッカーにおける戦いの様式の一つと言えるだろう。
森保一監督が率いる日本代表も、この様式を用いている。アジア最終予選、フォーメーションは4-2-3-1から4-3-3に変化したが、基本的なコンセプトは変わっていない。「いい守りがいい攻めを作る」といったところで、受け身的な姿勢からのカウンター戦術だ。
その極意にはまず、堅い守備があるだろう。自陣を人数懸けて分厚く固め、相手の攻撃を封じ、引き込んで焦らしながら、次第に自由を奪って消耗させる。機を見て、一気に長いボールを裏へ、もしくは2、3本のパスをつなげ、足に自信のあるアタッカーが敵陣に突っ込む。
言わば、弱者の兵法である。
たとえ五分五分の実力差だとしても、相手のほうが強いと見立て、いったん、主導権を与えながら、それを逆手に取ることによって一撃で相手を倒す。つまり、自らの力を下に見て、ボールをつなぐという危険を冒さないことによって、勝ちを得ようとする。‟ボールゲームを挑んで撃ち合えば負ける”という前提に立っている。
当然のことだが、こうしたチームの選手はボールありきのサッカーが発展しない。技術的な覚醒が見込めないのである。たとえ勝ったとしても、選手の成長は限定的だ。
「他に大きなる太刀を好む流あり、我が兵法よりして、これを弱き流と見たつる也」
宮本武蔵の『五輪の書』、風の巻にある。他流に大きな太刀を好む流派があるが、我が一流の兵法から見れば、これを弱者の兵法と見立てる、という意味になる。
以下が要約だ。
とにかく太刀の長さを長所として、相手の太刀よりも長いことで勝利を得ようとすることには疑問を呈する。それは心の弱さであり、弱者の兵法とも言える。たしかに長刀は有利に思えるが、近づいて組み合う場合、質が長いとむしろ邪魔になる。また、もし長い太刀を持たなかった場合、自ずと敗北を意味し、立派な兵法者とは言えない。長刀を嫌うのではなく、長刀に固執する心を嫌うべきだろう。戦いの場所、上下左右に空きを作らず、短い脇差でも使って戦えるのが強き者だ。
これはそっくりそのまま、サッカーの兵法に当てはまる。
ロングボールを用いてスピードのある選手を生かすことで、勝利を得られる。しかしそれは臆病さを含み、弱者の兵法と言える。たしかにロングボールやカウンター狙いは安全だが、組み合った場合は良さを消される。もし封じられて先制でもされた場合、敗北は目に見えている。ロングボールやカウンターが悪いのではなく、それに固執するのは危ない。相手の状況や自分たちの戦力に合わせ、どのような形でも戦えることこそが、上策と言える。
そんな意訳になるか。
兵法においては、どのような形でも勝てるのが最上である。
文●小宮良之
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たし、2020年12月には新作『氷上のフェニックス』が上梓された。
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